スイカ

なんたって夏が終わるのだ。4分の1カットのスイカを買ってきてそれをさらに半分にして皮を包丁で剝いて夢の皮なしスイカを作成してそれを一気食いしても、もう既に風が冷たい。
しかし皮なしスイカは夢のようにおいしかった。やりたいと夢見ていることは大抵実現してしまうとがっかりするものだが、これはがっかりしなかった。貴重な体験であった。
そういえば最近スイカとは別の夢のチケットを買った。ことの始まりは二週間前に遡る。近くのカレービュッフェに友達と行った時、そこのデザートにアイスがあったのだ。バニラアイスだけで少々がっかりしたのだが、友達がハーシーのチョコレートソースがあるのを発見してくれた。すげえ。夢のように思いながらがりがりとすくいとったアイスにチョコレートソースをぶっかけて食す時の幸福といったらない。夢だ、これは夢だ。
という夢体験が忘れられず、しかしチョコがけアイスのためだけに千円を超え千五百円に届かんとするカレービュッフェに日参するのは痛い。そこで天啓が訪れた。そうだ、チョコソース、買えばいいじゃん、ハーシーの。もう俺大人なんだし。(大人がこんなに心弾ませて買うものではないと思うが)とにかくチョコソースはうちにきた。適当なアイスがなかったので、MOWミルク味にご登場いただくという荒技を使う。
予想されていたことだが、チョコソースをかけると、みんなチョコソースの味になるよ。以上。でもそれが嬉しい人間には幸せだろうよ。

いつかのどこかの新聞に載っていた、若い歌人作の短歌だかなんだかに、「叩きつけ叩きつけおりSuicaは嫌い」という一節があった。私は、なんとなくいやだなあ、と思った。自分自身は毎日Suicaを愛用しており、導入された当初から喜んで使っている。電子マネー機能も機会があればさくさく利用している。切符購入の面倒がなくて、小銭の出し入れがなくて、カードケースからちまちま取り出したりしまったりする必要もなくて、どちらかと言えば…いや、かなりSuicaが好きだ。手提げバッグの時は、Suicaを底に仕込んでおいて、バッグをぽんとおいて改札を通り抜けるのが楽しくすらある。けど私がその句を嫌いなのは自分が好きなものを嫌いだと言われたからじゃない。そんなことを考えながら改札を通っていて、気づいた。
あのね、Suicaを「叩きつけ」ている人、いないのよ。1秒以上おっつけましょう、というシステム(確かに、今となってはぴっと鳴るタイミングが感覚でわかるくらいに慣らされた。早すぎてやばそうな時は警告音が鳴る一瞬前にわかる。)で、みんな結構静かにカードを「押しつけて」いる。結構大切に、ふい、と押しつける。私自身、叩きつけるなんてことはしないで、きゅい、と静かに置くだけだ。

そうだ、そうなんだ。あの歌人、イメージだけで書いているんじゃないのか? ちゃんと物事を見て、見て、見つめて、書いているのか? それが私の嫌悪感の正体だったのだ。
書くということは、結局観察でしかない。景色を、人の心を、観察して、文字に絡め取る。同じようにはできるわけがない。それでも、見えたものに、見たと思ったものに、少しでも近くなるように言葉を刻む。それこそ自分の精神を命を削って、刻み込む。それがたった31文字しかないなら、なおさらなんだろう。違うのか?

使命と魂のリミット

使命と魂のリミット

うむ。予想通りすぎるストーリー展開でどうしようかと思った。つか、東野はもうミステリじゃなくなってるのに、なんで読んでいるんだろ?