単なる覚書(言葉についての言説もまた言葉である)

カタカナ語の言いかえ提案
http://www.ninjal.ac.jp/gairaigo/Teian1_4/index.html

NHKが不必要な外来語を乱用したことにより精神的苦痛を受けたとして男性がNHKを訴えたそうな(現時点で2か月以上前の話ですが)。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/25/adopted_words_n_3498850.html

記事についているコメントにもいろいろありますが、一部のコメントにあるようなお金欲しさとかモンスタークレーマーってわけじゃないと思うんです。記事では日本語を大切にする会みたいなのの世話人ってことで、これの前にNHKに質問状を送ったりしているとありますから、これを契機にNHKその他メディアに外来語の安易な使用について考えてほしいってことではないかと私は思います。考えさせるための手段が裁判、というのは、裁判所関係各位の手を徒に煩わせることになるのではないかと思い、全面的に賛成ってわけではないですが。またこの男性の意見そのものにも賛成ってわけでもありませんが(NHKの報道をあまり見ていないので、外来語を不用意に使いすぎているかどうか判断できないのです)。
でもごく一部ではありますが、単純に「お金欲しさでこんなこと訴えて…」みたいなコメントをするひとがいるのだなあ、本気で真面目に考えてなのかなあ、と不思議な気持になりました。

言葉はよく考えてから話す、後に残る書き物であればなおさらだ、という考え方は古いのかなあ。