春は嫌いだ。

二階から飛び降りてきたら危ないじゃないか。あまりお兄さんを心配させてはいけない。

けして好きなわけではないのだが、冒頭は忘れがたい

重力ピエロ

重力ピエロ

はともあれ、春は嫌いだ。
春は圧倒的に別れの季節だ。出会いの季節という当然の帰結かつ耳にタコなレトリックもあるが、出会いなんか嫌いだ。出会いの方が嫌いだ。ストレスフルだ。

職場の派遣社員2人がことごとくやばい人で普通に驚いた。こんなやばい人を普通に送り込んでくる派遣会社ってあるんだ。というか、君たちどうして働こうと思ったのか、全くわからないんだけど? と小一時間問いつめたい。
一人は初日何も仕事をせず、2日目にして何の連絡もなくこなくなる。もう一人はエクセルも使えず、2日目に1時間で早退、翌日からこなくなる。
へー、それって、普通に、やろうと思えるんだ? いい大人が? というところに衝撃をうける。
実は2人が職場に初登場したその見た目で、「う、やばそう」と思ったのだ。人は見た目で判断しちゃいけないって言うけど、見た目の正しさには驚くばかりだ。
決して、美醜を問題にしているのではない。では何かといえば、「〜そうな顔」と文脈に関係なくいきなり具体的な表現として固着してしまう、イメージ、としか説明できないのだが。
例えば、「自分からは絶対に話しかけなそうな顔」とか、「みのもんたファンで井戸端会議のボス(笑い声はがはは)そうな顔」とか。
面白いのは、そのイメージは単に語で表現された部分にとどまらず、一個の人格としてイメージされるということだ。つまり、その人が何が好きで、どんなしゃべり方をして、どういうふうな考え方をしているか、暮らしぶりや生い立ちの背景まで頭の中でシミュレートされている。「住む世界」も込みで、イメージされていると言うわけだ。
「自分からは絶対に話しかけなそうな顔」の彼女は、趣味はマンガとアニメとゲームであって、現実世界は基本的に面倒なものと考えている。言われたことはするけど仕事に楽しみを見つけることはなく、仕事は仕事として「つまらないこと」と考え、趣味の世界に閉じこもろうとしている。だからにこりともしないし、食事に誘っても、断るだけの主張も面倒なのでついていくが、一言もしゃべらない。とりあえず引継書を読むが何をしていいのかわからないので黙って座っている。といった具合。
例えばここで新たに問いを立てても、彼女をシミュレートして解答を作成できる。彼女はきっと親と同居しているし、兄か弟がいる、とか。
もちろんそれで彼女の人格を否定するわけではない。彼女だって、会う場所が違えば、もしかして話が盛り上がって友達になれるかもしれないし、もう1人の彼女だって、きっと家庭やご近所では、パワフルに働く頼もしい人材なんだろうなあ、と心底思う。ただこの仕事場ではその能力が使えなかっただけで、残念ではあるよなあ、と。
正しい(あっている)かどうかは別として、ここまでできてしまう人間の人間イメージ力って、なんじゃろ。

昔、大人が誰かを評して「あの人はねえ、ほら、あれだから」みたいな大雑把な評価を下すのを、「けっ、馬鹿野郎、人を見た目や一部の行動で判断するんじゃねえ。その人が何を考えているのか、どうしてそんなふうなのか、全然まるっきりちっとも知りもしないくせに」とバカにしていたものだ。が、最近、人間というのはそんなに深いものではなく、また人間が人間を判断する洞察力というのは、想像以上に高度なものなのではないか、ということに気付いたような気がしている。
そういう大雑把な判断を(他人及び自分が下すのを)許容できるようになってきた。

それでもいまだに「(いや、どんな人でも初めてのことは仕方ないし、教えてあげなきゃいけないんだよ。ちゃんと仕事に慣れてくれれば、しっかりやってくれる人かも知れないし。まだわからんわからん。見た目やしゃべり方や質問の内容や失敗やタイミングの悪さやキータッチや何度も言ってもわかってくれない理解力の程度やなんかで判断してはいかんいかん)」と自分に言い聞かせ、笑顔を繕いつつ、「ええと、これはセルの書式が日付になっているからで、ここをクリックして、ツールの書式からセルの書式を選択して、標準にしてください」と親切めいて解説する自分は、けっこう思想的に頑張り屋さんだなあ、と思う。ちょっとマゾだ。

ちなみに、その派遣会社とはオー○マ・データサービスである。みなさま、ご注意めされよ。