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- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/08/25
- メディア: 単行本
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一読した私の感想は、「これは本格」である。トリックのある程度までは読者が看破できる。それほど難解というわけでもなく、いい感じにひねりの効いた(ちゃんと切れ目の入っている)、よいトリックであると思う。読みながらあのトリックが解けなかった人は別にそれでいいと思うが、ミステリ好きでこれまで何百冊もミステリを読んでいる人間が本気で解く気になったら素直に解ける、好感の持てるトリックだ。
しかし最後のあそこまでは予想できない。でもそれは、予想すべくもないが、予想する必要がない領域のものである。
ミステリはあれでいい。
私のミステリ観で言えば、ミステリとは「世界を洞察する」ものである。人間という神でも悪魔でもないちっぽけでもろい存在が、思考という武器で、世界を相手に闘う物語だ。
容疑者は思考し、世界を相手に闘った。そして世界は彼の思うがままに閉じ、しかし崩壊する。
世界が閉じるまでが「本格ミステリ」の領域、ではない。世界の崩壊すらも、思考の結果あるものだからだ。論理を積み重ねることで、論理の届かない「そこ」まで、本格は手を伸ばすことができる。
さてはて、某所で行われていた一連の論議をやっとこさ見てみた。まだミステリマガジンは読んでいないのだが、とりあえず、彼の頭の悪さには本当にいらいらする。特にあの「真相」。わざわざ反転して書いてある「真相」を読み、これが冗談であるという結語を三分ほど必死で探してしまった。あの「真相」とやらに本気で納得している人間は二階堂信者の中にも一人としていないらしいことが、掲示板のスルーぶりから窺えるのが唯一の救いだ。
本格の定義についての某評論家の意見が聞けたのは、大変よいことであった。確かに気になっていたことではあったので、説明されてよかったと素直に嬉しい。読めばちゃんと意味がわかるしね。
この騒動で、果たして何かが変わるかといえば、何も変わりそうにないのが残念なところだ。