逃避中

なんとか風邪からは復活したものの、修論を書くためにこたつむりであります。
こんなにこたつむりなのに、どうして終わらないんだろう。

それはね。
こうしてネットに逃避しているからだよ馬鹿者が!

盤面の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-7)

盤面の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-7)

これは感想とか下手に書くとネタばれになるぞう。

私はエラリイ・クイーンって端正な論理派のイメージだった。ものすごく頭が良くて冷静で、ミステリとは推理であるという見本のような美しいミステリを書くというイメージ。
でもここ最近まとめて読んでいて、特に後期に入ってくるとそうでもないのかなという気がしてくる。むしろ綾辻行人に近い。
初期の館シリーズでミステリの型という型を舐め尽くした綾辻と、国名シリーズで読者への挑戦状を出し続けたクイーンが、重なって見えるであります。そしてどちらもミステリとは何かを問うているかのような作品を書き続けるのであります。
限界を試そうとして飛び出して、ふと気が付くと限界が見えなくなっていて、それでも恐れず空中で機体を作り直して宇宙に飛んでいっちゃおう、みたいな。
何を言っているのかわかりませんな。別に空中分解しているとか実験的作品を書いているとか言いたいわけではない。私は「選ばれなかった」クチだが、それでも。私は、ミステリというものはそもそもミステリとは何かという問いを持ち続け、それに対する答えを書き続けるジャンルであると考えているので、それが正しい方向性なのだという考えである。
だから何が言いたいのかというと、クイーンがあまりにも人間ぽくて驚いた、のだ。

いや意外であった。

私は『変身』とか『茉莉子』とか『ifの迷宮』に代表される「近未来SF的設定が中心的要素として組み込まれたSFやホラーではない作品(ミステリも当然含まれる)」がやや苦手である。今科学はすごい速さで進んでいっているので、中途半端な想像は必ず現実に追い越されるし、驚愕の新規知見はみんなの常識になりさがる。
そういうわずかばかりの想像の飛躍の面白さや、新しい知識の興奮を抜きにしたところに、本当のミステリの面白さはあるんだぜ。
そう、この地味な証拠のきらびやかな推理のように。
私はやっぱりエラリイ・クイーンが好きだ。