『パズル』(アントワーヌ・ベロ)

 作ったぜ。パズル。48の断片。紙切って。
 ええと。作った者の意見としては、パズルを作らなくても『パズル』という小説をミステリとして読み、楽しむ(そして犯人を当てたりする)ことはできると思うけど、そういう風にしてもあまり面白くないと思う。これは違うふうに読んで面白いものだ。
 正直に言ってこいつは普通にミステリとして読んだところではあまり面白くない。例えばこれが普通の形のミステリとして書かれたところを想像すると、本を壁に投げてる自分の絵が用意に思い浮かぶ。「だから何なんだ」かなんか言っちゃって。しかし、これは面白かった。ミステリとしてではなく面白いのかというと、ミステリとして面白いのだ。これが。ぞくぞくきた。
 パズルを作り、楽しむことで、「ミステリとは何か」ということを考えたりしちゃう。特に最後の解決の章なんかは、実際にパズルを作ってその章に辿りついたものだけが味わえる臨場感がある。
 以下、ネタばれ

 紙を切ってパズルの断片作って、並べかえている時に、一番昔に書かれた「欠けたピースへのエロージュ」かなんかいう論文に書かれていた(これも『パズル』と同じく断片からなる小説らしいが)こととか、ジグソーパズルの組み立ての主義とかを考えてすごくぞくぞくしちゃったのだな。私はまず手紙、とかJPマガジン、とかパズル学協会議事録、とかいうふうに形態で分けて並べ、次に年代順に分けて並べ、次に話題がつながっている順に並べ、次に登場人物で並べたりした。うわ。ぞくぞくしねえ? これってジグソーパズルそのものじゃん。そんでミステリそのものじゃん。

欲を言えば、これが「体験」としてのミステリとして面白いだけじゃなく、小説になったとしても充分楽しめるだけ濃いミステリであって欲しかった。あと折角パズル作ったのだから、パズルを作って初めて解けるくらいの作り方をして欲しかったなあ…。これは暇人の戯言だがな

パズル (ハヤカワ・ノヴェルズ)

パズル (ハヤカワ・ノヴェルズ)